イザヤ書45章7節で、「神は災いを造られる」とありますが、これはどういう意味でしょうか。
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この聖句は、預言者ミカヤが、主がアハブの預言者たちに偽りの霊を送るのを目撃したと報告している聖書の物語と結びつけて考えることができます。これらの箇所や他の箇所では、悪が神から発しているかのように見えますが、聖書は「すべての良い賜物と完全な賜物は、すべて神から来る」と述べています。
ヨブ記には、善と悪の関係、そして神の関与を解き明かす鍵が記されています。悪魔は、ヨブを誘惑し苦しめる許可を神に求めています。悪魔は、神が許さない限り、何事も行うことはできません。主は御自身の保護を撤回し、防護の垣根を取り払い、守護の力を引き揚げなければならないのです。 その意味で、神が悪を許容しているように見えるのです。エデンの園に善悪の知識の木を置かれたのは主ご自身です。しかし、それは主が私たちに悪を「食べる」ことを望んでおられるという意味ではありません。それは、主が私たちに選択の自由を与えておられることを意味するのです。
時に、主は私たちを守る天使たちを引き揚げることがあります。その意味では、主が悪が訪れることを許していると言えるかもしれません。しかし、ヤコブの手紙は、主ご自身が誰をも誘惑されることはなく、また主ご自身も誘惑されることはない、と教えています。悪魔は独立した存在であり、咆哮する獅子のようにうろつき回り、誰かを滅ぼし、食い尽くそうと狙っています。 神は、悪魔に許される範囲内で、常に悪魔を抑制しておられます。
時折、主は何かしらの目的を果たすために、御自身の守りの手を引き戻されます。だからこそ、パウロは「神は真実な方であり、あなたがたが耐えられないような試練に遭わせたりはしない」と述べているのです(コリントの信徒への手紙一 10:13)。 ですから、イザヤが「悪は主から来る」と述べているのは、単に、神がご自身の主権的な計画の中でそれを許さない限り、悪魔は何もできないということを意味しているのです。